6月一杯の休止をいただきましたみら太な日々であります。
このひとつきの間、精密検査やら検査入院やら手術入院やらいろいろやっておりました。
結果的には大事にならず、ほぼ復帰の見通しが立ちましたので恐る恐るブログを再開させていただきます。
本投稿は私事&ブログ趣旨とは無関係ではありますが、今後の私自身の健康を願い、また少しでも皆様のご健康への関心を呼び起こしたく経過を記載させていただきます。
事の発端は原因不明の発熱でした。
GW頃から急に38度台の熱が出るなど、体調がおかしかったのですが、一日休んで安静にしていると熱が引いたので、なんとなくだましだましすごしておりました。(ウェイさんや池上さんに我が家をお訪ねいただいた頃の話です。)
ところが、5月末に出張で横浜のホテルに宿泊していた夜のこと、顔が燃えるような発熱で目を覚ましました。「これはただ事ではない」と思い、急遽出張を中止して一便で福岡へ帰って病院へ駆け込みました。
そこで胸のレントゲンを撮影したところ「影がある」との指摘。さらにCTを撮影しましたところなにやら丸い塊が見えました。
そして「肺がんの可能性が高い。ステージは1から2程度だろう。胸水もたまっているので、すぐに精密検査をして手術の相談をしたほうがいい。」との衝撃の告知を受けました。
駆け込んだ病院から九州医療センターへの紹介をいただき、造影剤CT再撮影、FDG-PET、肺機能検査、腫瘍マーカーテスト、肺内視鏡検査等々、半月ほど精密検査を行い、内視鏡の際には3日間の検査入院もしました。
で、検査の結果、
- CT画像所見
左肺下葉に胸膜に接する4cmと1cmのふたつの腫瘤がある。
4cmの腫瘤内部は液状で、壊死が生じていると思われる。 - FDG-PET画像所見
肺内腫瘤にFDG集積が見られる。
また、時間経過と共にFDG集積の程度が増しており悪性腫瘍が疑われる。
一方で急性期炎症の鑑別もある。
その他臓器への著しい転移はなさそうに見える。 - 腫瘍マーカー
少なくとも二種類のテストで陰性。
ただし、悪性でもマーカーが陽性となる確率は6-7割程度。 - 肺内視鏡
肺野部に腫瘤があるため生理食塩水を流し込んで細胞を回収。
悪性の所見なし。だが悪性でも所見なしは珍しくない。
といったことがわかりました。
ここまでの結論としては「悪性であるという絶対的な証拠(細胞診)は無いが、状況証拠はそろっている」というもので、7月早々の手術が予約されました。
手術に備え6月末日に入院しました。
手術前というのは非常に忙しく、医師団による手術内容の説明を始め、リハビリ療法士、術看、麻酔医、看護士からの説明、さらには大量の同意書(手術そのもの、麻酔、輸血、血液製剤の使用リスクなどなど)へのサインなど多くの作業が続きます。
そんな一連の作業が一段落したところで主治医より「どうしても気になるところがあるので、手術前にもう一度CTを撮影したい。もしそれで腫瘤が小さくなっているようであれば明日の手術は延期する。」との言葉。
指示に従い手術前日の夕方に急遽CT撮影をしました。
そしてその日の夜手術の延期が決まりました。腫瘤が小さくなっていたのです。
もし腫瘤ががんであれば、何もしていないのに自然に小さくなるということはありえません。よって、これはがんではなくFDG-PET所見にあった急性期炎症(いわゆる肺炎、胸膜炎) である可能性が高まってきたということです。
肺炎も胸膜炎もそれはそれで恐ろしい病気ではありますが、がんとは比べものにならないのは言うまでもありません。
ということで、ひとまず手術は延期、7月中旬の再検査で経過を観察することになりました。
腫瘤は炎症である可能性が高いとはいえ、その炎症そのものの原因ははっきりしていません。そしてがんを原因とする炎症も起きますので、ひょっとすると炎症の影の中から悪性腫瘍が見つかる可能性もまだ残っているのです。
しかしながら、縮小しつつある炎症の影の中から悪性腫瘍が見つかったとしてもそのサイズはかなり小さいものになります。 よって、もしそうなっても事態はの深刻さはかなりましになると思われるのです。
今回は主治医の慧眼で手術直前で事態の好転を見ました。ほんとうにありがたい話です。
私が九州医療センターに紹介を受けたのは言われるがままだったのですが、あとから調べてみると同センターの呼吸器外科の治療成績はすばらしく、手術後の5年生存率で国内医療機関のトップになったこともある肺がん治療のエキスパート集団であることを知りました。
医療センターでは年間数百件の肺がん手術が行われていますが、主治医からは「年に何人かあなたのような方がいらっしゃる。」との言葉でした。
いろいろな幸運が重なったと思っています。
ここまで経過を淡々と書きましたが、6月上旬の半月間私は尋常な精神状態ではありませんでした。まさに「死の淵」を見ました。「がんの可能性が高い」といわれ、それはもう必死でネットの情報をかき集め、そして肺がんという病気の恐ろしさを知りました。
検査結果が出そろうまでは肺炎から末期肺がんまでのあらゆる可能性がありました。もし末期の肺がんであったならば、一般的な余命は短い場合は数ヶ月という恐ろしい病気です。今年を越せないかも知れないのです。
肺がんの告知を受ける患者さんのうち手術が出来る方は3割程度と言われているようです。そして手術できる3割のうちの半数くらいの方が完治すると言われています。厳密にはがんには完治という言葉ではなく寛解という言葉が使われるようで、その意味は「検査でわかるがんは見つからない状態」です。これが5年間維持されればほぼ大丈夫とされるとのこと。
いろいろ情報を集めてもほとんど希望を見出すことは出来ず、完全うつ状態で半月を過ごしました。妻の前で涙を流し、声にならないうめき声を上げながら転げまわりました。最悪の場合を覚悟し、死亡退職金や保険の計算、自宅の処分、子供の将来のこと、そして何よりも妻の今後のことをしっかりと話し合いました。さらにいろいろと散らかっている自分の持ち物の処分や、ネットバンクをはじめとするID/パスワード類のまとめ、そして最後に皆様に告知をしてもらうためにこのブログのログインパスワードも紙に残しました。
何とか絶望から立ち直ってきたのは2週間が過ぎた頃でした。まだ検査結果はそろっていなかったのですが、不思議と気持ちが落ち着いてきて、腹が据わるというかあきらめるというか、いずれにしても平穏な精神状態を取り戻し、会社にも行くようになりました。
そしてその気持ちのまま入院し、急転直下の手術延期&翌日退院という顛末になったのです。
正直なところ、妻も私も事態の好転をうまく受け入れることが出来ませんでした。
それまでのひと月間ひたすら心の抑揚を押さえ込むよう努力してきたので喜ぶべきことがわかっても気持ちを持ち上げることが出来なかったようです。
「がんではなさそう」ということがわかった時点で喜びの声を上げてダンスでも始めそうなものですが、実際はぼーっとしており、まさに夢を見ている状態でした。
説明を受けて病室に戻ったあとも妻と「いまほんとに手術延期って言われたよな」と何度も確認し、自分のほっぺたをひっぱたいては再撮影したCT所見の紙を見直しました。
翌日の手術はなくなったのですからその日の夜はただ病室で一泊するだけです。まったく眠れません。寝るといわゆる”夢おち”が待っているような気がして怖くて眠れなかったのです。ちょっとうとうとしては「はっ!」と目を覚まし、改めてCT所見の紙を確認する。これを10回以上繰り返したと思います。明け方4時半まで起きていたのを覚えています。
翌日退院し、病院から離れてもまだ実感はありません。そしてこの投稿を書いている今でもあんまり実感が無いのです。「手術いつだっけ」と考えたりしています。
もうひとつ感じたものがあります。それは罪悪感です。
病院に通い、検査入院などもする中で、同じ境遇の患者の方とも言葉を交わしました。また病棟内を移動するときにふと覗く病室にはたくさんの患者さんたちが入院していらっしゃいます。おそらくその中の多くの方ががんとは無関係ではないはずです。
私はその環境から戻ってきてしまったのです。
正確にはまだ完全に戻ったわけではありませんが、ほぼ命にかかわる状況からは脱したと思っています。これが申し訳なく感じてしまうのです。「自分だけ戻ってきてしまった」と感じています。
たくさんの人が亡くなるおおきな事故や大災害を生き延びた人たちのインタビューで「自分だけが生き残ってしまった」という苦しい気持ちを吐露される方がいらっしゃいます。「生き残ることが出来た」ではなく「生き残ってしまった」という気持ちです。
いまの私にはこの気持ちがものすごくよくわかります。
だからといって何が出来るわけでもないのはわかっていますが、なんといいますか、患者さんにしても医師や看護士の方々にしても、今も病院で戦っている人たちのことを忘れてはいけないと思うのです。
今回の一件はおそらくがんではなく、肺炎&胸膜炎 ということに落ち着くであろうと予想しています。
ということで結果的には私が勝手に落ち込んだだけということになるのだと思っていますが、その過程で大きな何かを得たと思っています。少なくとも死生観、人生観は結構大きく変わりました。自分が今死んだらどうなるのかをまじめにまじめに考えたのです。
今回私は一度死んだものと考えています。そして今からの命がどこまで続くのかはわかりませんが、新たにいただいた命と考えて一日一日を大切にしていきたいと決意しています。
みら太な日々も仕切りなおしです。改めてよろしくお願いいたします。
そして、皆々様のご健康を心よりお祈りいたします。どうぞすべての方が健康でありますように。
最後に、タバコを吸っている方、やめましょう。
もう一度言います。
タ バ コ は や め ま し ょ う 。
コメント
とりあえずは退院出来て一安心と言ったところですが
病気は怖いですね。
私も人間ドックで要精密検査項目があるので近々訪院
しないといけないかもです。
私は愛煙家ですが、
「最後に、タバコを吸っている方、やめましょう。
もう一度言います。
タ バ コ は や め ま し ょ う 。」
この言葉には胸をえぐられる思いです。(笑)
ウェイさんありがとうございます。
ほんと気をつけてください。脅すわけではありませんが、肺がんは見つかったときには手遅れのことも多いのです。
私は15年位前にタバコはやめました。ウェイさんもどうかやめるきっかけを探してください。
なんならわたしのPET画像をアップしましょうか。
目をそむけたくなりますよ。
どうぞご自愛ください。
突然の休止で驚きその後もついついブログチェックをしていましたら今日再起動報告!目を疑いました!でも病み上がり?無理をせず再起動してください!皆喜んでいると思います。
匿名さん、応援ありがとうございます。
まだ完治状態ではありませんのでお勧めどおり無理なくいきたいと思います。
これまでちょっと飛ばしすぎたかなと反省しているところです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
早めの復帰ができて良かったですね、良い方向に向かっているとのことで安心しました、また時期をみて遊びにいきますね(^-^)
anchanさん、ありがとうございます。
思わず運のよい方向に話が転がっていまして、正直なところこれでわたしの運はすべて使い果たしてしまったのではないかとびくびくしています。
これからはいっそう健康に留意して生活していきたいと考えております。
またお会いしましょう。
おかえりなさい!
かなり大変な状況だったようですが、平常に戻りつつあるようで何よりです。
ともあれ、良い方向に転んだ事は素直に喜んで良いかな~と思います。
年齢が進むと体への負担が大きくなりがちですから、案外出張続きだったのが効いてしまったとか(つД`)
私も呼吸器の病気持ちですが、入院を経験してからは削り作業や塗装時には吸着缶付きのマスクするようになりました。
ま、人間はピンチにならないと動かない生き物ですョ(汗)
文月さん、ありがとうございます。
一時は深刻な状態でしたが、今回は何とか穏便に済みそうです。
今後健康に留意するようにという警告と受け取って気をつけて行きたいと思います。出張続きが効いていたのは間違いないと思います……
文月さんも苦労なさっているのですね。私もマスクします。
レーザカッターの排気が漏れ漏れなのでそれも何とかしないといけません。
ということで、大幅に遅れが生じましたが、もはや誤差という話もありそうなので(笑) あまり気負わずにぼちぼち行かせていただきます。
毎週更新を楽しみにしている者です。大事にならずに本当に良かったです。
家族の皆さんにもお疲れ様と言ってあげたいです。
ご自愛ください。
匿名さん、ありがとうございます。
そうなのです。今回の件で一番苦労をかけたのは嫁さんなので、ここのところ甘いものを献上したりして尽くしております。
ありがたいことに、ブログを再開したことで、大きく落ち込んでいたアクセス数がたちまち復活してきました。ほんとにたくさんの方に見ていただいているんだなあと改めて力をいただいております。
今後もいままでどおりいい加減な進行ですが、よろしければお楽しみくださいませ。
皆様のご健康とお幸せを心の底から願っております。